議員になりたい!
でも、実際に議員が何をしてるんだろう?という想像はできますか。
なぜ自分が自治体議員になりたいのか?本当にやりたいことは何なのか?
自分自身に改めて聞いてみるきっかけとしてぜひ最後まで読んでみてください。
そしてもし「よし、やっぱり議員になるぞ!」と思ったそのときは、必ず私があなたのお役に立つことをお約束します。
議員の仕事って何?
- 公務は意外と少ない!?
- 公務っぽい扱いをされているもの
- 多くの人に成功体験をさせる
多くの人に成功体験を経験をさせる
議員の仕事って実はこれなんじゃないかな?と私、半分以上の確信を持ってお伝えします。
【あなたの住む自治体に議員は何人いますか?】
議員の数はだいたい町村議で10~18人、市議で20~50人あたりでしょうか。私がいた自治体は2,000人に1人の割合、隣の町は1,000人に1人、隣の市では6,900人に1人、さらに隣の市では9,900人に1人の割合です。ついでに言うと2,000人に1人の自治体と、9,900人に1人の自治体では、年間にもらう報酬額は2倍以上の差があります。(報酬についてはまた別途)
【多くの人に成功体験をさせるとは?】
上記のように差はあれど、最大50名の議員で、一体どんな風にその自治体を変えることができるでしょう。同じ党や会派ならば、協力し合っていくことは可能です。そしてそうでなくても議案の賛否が近ければ話し合ったり、委員会視察に一緒に行くなどもするでしょう。しかし支援者も基本的には異なるため、雑談はしても、活動ではつながりはほとんどない、というのがよくあることではないでしょうか。
では、自分ひとりで一体何ができるのでしょう。よく選挙で「私に任せてください」「私がやります」「私に託してください」と訴える候補者がいます。嘘っぱちだなぁと思ってしまいます。現実問題として無理です。任せられて1人でできることなんて実際は握りのことだけ。みんなのお困りごとを解決したいという気持ちは大きくあっても、議会で質問できる回数も時間も限られていて、しかも行政側が「うん」と言わなければ実現しません。
でもどうでしょう、もし議会の外で、議員以外の人たちが自治体を変えてくれるとしたら???
大きな公園がほしい!というお母さんたちの願いから生まれた唯一無二のあそび場とは?
私が議員になって間もない頃、あるお母さんたちが「相談したいことがあるんです」と言いました。引っ越してくる前の自治体には「冒険あそび場(プレイパーク)」というのがあって、子どもたちが火をおこしたり、竹を切ったり、大きな木にロープを張って登ったり、木工したり、泥んこになって遊んだりする場所があったのだそう。単なる公園と違い、今の時代だと大人が「ダメ」とするようなことができる場所です。そういう場所を行政で作ってもらえるように議会で働きかけてもらえませんか?という相談でした。
当時、長男が2年生、二男が年長だったこともあり、その場がどれだけ素敵で、意義のある場所か、また子どもたちの笑顔が想像できるようで、いたく感動しました。そしてその場を必ず作りたいと思いましたし、その場で作る、とお母さんたちと約束をしました。
ただし、私が言ったのは「行政に任せていたら、できあがっても3,4年後。つまらないものができる可能性が高いし、途中でいろんな理由でとん挫する場合もある。だったら絶対に自分たちでやったほうが早いし楽しい。子どもたちも、お母さんたち以外も巻き込んで、作っちゃいませんか?」
かつて、私が議員になる数年前。まだ長男が2歳の頃、1万部のフリーペーパーを町内のお店や会社などにスポンサーになってもらってお母さんたちと発行していたことがあります。自分たちがより楽しく子育てをするためのフリーペーパーです。子連れで行けるお店や、入院の付き添いができる病院・できない病院、発達障害など、ありとあらゆる「気になること」を掲載したものです。
私は取材と執筆ができました。デザインができるお母さんもいました。飛び込み営業するお母さんもいました。みんなでやってたら、みんながみんな、取材や営業や配布を自分からやるようになりました。
そのうち、町に大きな公園が建設される計画が立ったので、みんなで大きな動きを作りました。私たちの要望を入れてもらおうと、誌面で計画を紹介し、意見交換の場を作り、70歳を超えた方の「木を切らないでほしい」という意見なども加えて、町長へは要望書を、議会には陳情書を出しました。そしてまた誌面でそれらを紹介しました。
結果、私たちの要望の半分は行政に取り入れてもらうことができました。「自分たちが動けば、町は変わる」その成功体験があったので、その後、子育てサロンが建設される際にも、誰ともなく、自然に動きができ、定期検診の日にアンケート用紙を持って乳幼児のママたちに意見をもらったり、建設予定地の商店街に聞き取りに行ったりもしました。そのときは9割以上の意見が通り、関わってくれた多くのお母さんたちが「やればできる」「動けば変わる」を実体験しました。
当時のママたちの輝く目、生き生きとした表情をよく知っていた私は、冒険あそび場を作りたいと言ったお母さんたちにも、一見無理難題のように見えることをはっきり言いました。「やるのは自分たち」だと。私はお母さんたちのキラキラした眼差しにのっかって「絶対できる」を繰り返しました。そして本気であること、熱を冷ましたくないという気持ちで、翌日すぐに町有地を借りる手段や注意点、何をどこまで行政がやるかやらないか、自分が懇意にしていた団体などにも話をし、それをお母さんたちに報告しました。
土地は借りられる、日を決めたらそこにむかって準備するだけだよ!という勢いです。スタートダッシュが肝心です。すぐに日程を決めました。そこからの展開はあっという間です。もうやるしかないからです。そして例えば「子どもたちに読み聞かせをしている、図書館を楽しむ会という人たちがいるけど、テントのブースを作って、外で読み聞かせもやってもらおうか?」と私が話すと、お母さんたちは「自分たち以外の人たちも一緒にその場を作ってくれるんだ」と力強さを感じてくれて、他にも昔あそびの会、竹の会、ボーイスカウトなどの人たちにも趣旨を話し、そこから一気につなげていきました。
木にロープを張るにも、木登りをするにも、実は大人のプロの目が必要です。子どもたちにとってこの場は、自ら挑戦する危険(リスク)があるからこそ面白いのであって、用意された遊具とは違うのです。しかし折れそうな木にロープを張ってしまったのでは、子どもが挑戦するリスクとは別の意味で大変危険であり、回避しなければなりません。そういう目を持った大人は、あるお母さんが引っ越してくる前に住んでいた自治体の冒険あそび場をしている方々に協力を仰ぎました。当日は、普通の公園にはない子どもたちの笑顔を見てもらって今後につなげるため、町の議員全員と県議会議員、町の三役(町長、副町長、教育長)にも声をかけました。
お母さんたち4名で始めたこの計画は、結果的には大人が50名ぐらい協力をしてくれました。子どもたちも準備を手伝いました。そして、当日来場したのは、380名。小さな小さな人口の少ない町ではちょっとしたニュースになるほどの盛況ぶりでした。
1回目が無事に終わったとき、あるお母さんが言いました。「あのとき、同じママさん議員だからやってくれるに違いない!と思って相談してみたら、まさか自分たちでやることになるなんて思いもしなかったよね。それに途中まで巻き込まれたことに気づいてなかったし。途中で、あれ?なんで私たちがやってるんだ?って思ったけど、楽しかったし必死だったし、何より2か月後には実現してたんだもん。町に頼んでいたら、1年も2年もかかったし、できなかったかも、というのは今ならよくわかるし、私たちの手でできた、というのが本当に嬉しい!!!」
そのあと何度か開催できましたが、そうは言っても子育て世代にしてみると準備も当日もやっぱり大変。自分の子を存分に遊ばせたいのに自分が自由になれなくて遊べない、なんてこともありました。でもそんなお母さんたちは、退職された異世代ともしっかりつながりを持てるようになっていたので「私たちがやるからあなたたちはちょこっと手伝って。そしてたくさん子どもたちと遊んで」と、今はそのおばあちゃん、おじいちゃん世代を中心にして、その冒険あそび場は続いています。始めた当時、泥だらけになって遊んだ子どもは、大きな子はもう高校生になっています。そして今度は、子どもたちを見守る側の大人として場を作っています。
私が言いたいのはつまり「自分たちが動けば町は変わる」という成功体験を一人でも多くの人にしてもらえば、自分(議員)がいてもいなくても町は良いほうに変わっていく、ということです。一人ひとりや団体の力を最も効果的に出すために自分は何をすべきなのか、その一択で動き続ければ大丈夫です。ちなみに、そうやって人が成功体験を重ねるために動き続けると、選挙に受かるために何かしなきゃ、ということを一切せずとも、次の選挙活動をわざわざせずとも、必ず次も当選することができます。
当時大活躍をしてくれたお母さんたちは、今でもさまざまな活動をしています。例えば学校のPTA活動にしても、地域の環境づくりや、ゴミを減らすこと、親世代との互助会的アクションなど、ありとあらゆることをそれぞれが始めています。そして子連れでふらりと議会傍聴にも行きます。自分たちの暮らしが町の政治と密接だと実感したからです。
ほかにも私は、高齢者世代が活動している里山保全や有機農業、商店などの方々ともつながりを持ち、その方々の要望することをできるだけ自分が手を下さずに、喚起とサポートに徹する形で関わってきました。今ではどの人たちも、どの団体も、議員に相談することをほとんどせずとも、自分たちの力で町をより良くしています。